
目次
はじめに──「掃除を仕事にする」という選択
「掃除が好きなんですね」と言われることがある。
確かに、嫌いではない。でも、この仕事を始めた頃は、決して“好きだから”という理由だけではなかった。
最初は、「できることをやってみよう」「少しでも役に立てるなら」という思いだった。
だが今、こうしてハウスクリーニングを生業とし続けてきて、気づくことがある。
それは──
「掃除が自分を育ててくれていた」という事実だ。
第一章:見えないものを見るという力
掃除をしていると、目の前の汚れだけではなく、「生活の跡」が見えてくる。
たとえば、浴室の排水溝に長く溜まった髪の毛。
キッチンのコンロに飛び散った油。
トイレの便座裏にほんのり残った黄ばみ。
どれも日常の一部であり、誰にでもある“当たり前の汚れ”なのに、そこには不思議と、その家の人の暮らしや性格がにじみ出ている。
掃除を通して、
「モノ」ではなく「人」に目を向けるようになった。
そして、自分自身にも気づかされることが増えてきた。
「こんな細かいところ、前は気にもしてなかったな」
「なんであの時、腹を立ててしまったんだろう?」
掃除をしているうちに、
自分の中の“粗さ”や“視野の狭さ”まで見えてくるようになった。
第二章:丁寧に、とは「相手を思う」こと
ハウスクリーニングの仕事は、“丁寧に”が基本。
でも、“丁寧”の意味って何だろう?
ただ時間をかけることではない。
ただキレイに見せることでもない。
本当の丁寧さとは、**「相手のことを想像しながら行動すること」**だと感じている。
たとえば、玄関のタイルを磨いていて、「ここを最初に見た時の印象が変わるだろうな」と想像する。
エアコンを分解して、「アレルギーがあるお子さんがいるかもしれない」と思いながら丁寧に拭く。
浴槽を洗いながら、「疲れた身体を癒す場所だから、安心してもらいたい」と願う。
掃除とは、“相手の見えない日常を支えること”。
それを意識できるようになったのは、自分がこの仕事を通して、
“他人への想像力”を育ててもらえたからだと思っている。
第三章:苦手なことも、向き合うきっかけになる
正直に言うと、私はもともと「営業」や「人前で話すこと」が得意ではない。
それでも、ハウスクリーニングという仕事を選び、お客様と向き合い、現場で会話を交わすなかで、人として成長せざるを得なかった。
「またお願いできますか?」
「〇〇さんに頼んで良かった」
そんな何気ない言葉が、心にしみて、自信に変わっていった。
現場では、急なトラブルもある。
「洗剤の反応が思ったより強く出てしまった」
「予想よりも汚れが頑固だった」
そんな時に、慌てず、焦らず、一つずつ対処していく姿勢も、この仕事が教えてくれたことのひとつだ。
ハウスクリーニングは、ただ手を動かすだけじゃない。
感情と向き合い、弱さを認めながらも成長する“訓練の場”でもある。
第四章:信頼の積み重ねが「自信」になる
この仕事をしていて一番うれしいのは、信頼をいただけた瞬間だ。
「実は、娘の家も頼みたいんだけど…」
「管理している物件、全部お願いできるかな?」
そんなふうに、少しずつ仕事が“広がっていく”感覚を味わった時、過去の自分では想像もつかなかったくらい、心の奥に“自信”が芽生えてくる。
それは、売上や評価とは少し違う、「誰かの暮らしに安心を届けた」という実感そのものだと思っている。
第五章:暮らしに寄り添うことは、生き方に寄り添うこと
掃除は、派手じゃない。
人から見えないところにこそ、手間がかかる。
でも、だからこそ、人の「暮らしの深いところ」に寄り添える仕事でもある。
退院された高齢の方のご自宅、
独り暮らしを始めた学生さんの空室、
お子さんが喘息持ちのご家庭のエアコン清掃──
一軒一軒に背景があり、感情がある。
そしてそれを「感じ取ろうとする自分」が、この仕事を通じて育ってきた。
今でははっきり言える。
ハウスクリーニングは、ただの仕事じゃない。
自分を“磨く”仕事でもある。
おわりに──「手で整える」という人間らしさ
便利な世の中になって、何でも自動化されるようになった。
でも、掃除という行為は、最後の最後で「人の手」が必要な作業だ。
汚れを落とす。
ピカピカにする。
スッと空気が変わる。
相手の表情がほころぶ。
それは、**手で整えるからこそ伝わる“人間らしい温かさ”**だと思う。
私はこれからも、ハウスクリーニングという仕事を通じて、
**「人として、どう成長していけるか」**を問い続けていきたい。
掃除は、暮らしを整えること。
暮らしを整えるということは、人生を整えること。
今日もまた、ひとつの現場に感謝して、自分の心と手で、丁寧に整えていこうと思う。